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作年の今日(平成18年2月17日)孫が、広島県呉市に連れて行ってくれた。 さきの大戦中に私は海軍、軍人として呉鎮守司令部に勤務、当時の司令長官、海軍中将
金沢正夫閣下の乗用特一号車(クライスラー)の乗務員として在籍していた関係上60余年前の昔を偲び、入船山の長官、官舎や米軍の呉空襲の際焼夷弾の火が軍服に飛び火し鎮守府前の、池にとびこんで難を逃れた池が、昔のまま残っていた。 又戦艦大和の、ミユージアムでは、呉鎮守府最後の指令長官金澤中将の、建設新日本の書 我が家にも大切にしている、おなじものが展示してあった。 戦艦大和は、忘れられない17歳のとき徴用令といって強制的に軍需工場で、仕事をしたのが 呉海軍工廠であり、大和の転輪羅針儀の製作だったのも、思い出とし一生忘れられない旅であった
by kayajii
| 2007-02-17 17:37
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